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好きなことを仕事にして飽きる人・飽きない人
ブログライターkomichiです。
今日のテーマは、「好きなことを仕事にして飽きる人・飽きない人」です。
世の中、好きなことを仕事にして生きていけるわけがないんだよ、そんな言葉を子供の頃から聞いて育った人は沢山いるかもしれません。
だけどそれってどうなんだろう?
いろいろと理屈はあるかと思いますし、経験から理解されている方もいらっしゃるかと思いますが、この記事では、好きなことを仕事にして飽きる人と飽きない人ってどう違うの?
といった面から世の中の眺めて見ながら、一体この2つにはどんな考え方の違いがあるのか?探っていきたいと思います!
スティーブ・ジョブズ、彼の名前を知らない方は、ほとんどいないのではないかと思いますが、あなたはご存じですか?
Apple、日本語で「リンゴ」という意味の会社を設立し、世の中をもっと自由にしようと奮闘して、短い生涯を終えた、日本の禅を学んだスティーブジョブズは、仕事について、次のような話をされています。
「自分が愛せる、情熱を注ぎ込める仕事を見つけなさい」
ご存知のように、ジョブズは型破りな方法で、仕事に邁進した人物として有名です!
そして、これらの人たちが、インターネットを使って、世界をどんどん変革していることも、多くの方がご存知だと思います。
まさに、一般人の私達からみたら、好きなことを仕事にし、飽きる人にならず、飽きない人として、その仕事に邁進にした、理想的な人物に見えますが、そんなジョブズも、短命だったことを見ると、仕事のしすぎや、やり方にやはり問題もあったのではと思われます。
いかに好きなことを仕事にしたとしても、飽きないで続けることが出来たとしても、健康を害するような働き方では、やはり個人的には違うのではという発想になるのですが、あなたはそれでも、飽きないで結果を出せたのだからいいと感じる人ですか?どう思いますか?
本当に自分の好きなことをして生きていけるのか?
人間は、本当に好きなことをして生きていけるのか?と問われると、拙い個人的経験から言えることは、それは可能であるという事実です。
調べていくと分かるかと思いますが、この日本という国の中で、生活するためにする仕事は本当に驚くほど数多くあります。
安定などというこれまでの固定概念を無視して世の中を眺めていくと、これほどまでに多くの仕事が、この国にはあるのかと、驚かされるほどですし、もちろん、自分の好きなことを仕事にする、という面から見ると、また別の問題が出てくるのですが、それでも、生きるためにする仕事という意味においては、この国で食いっぱぐれることはないほど、選ばなければ食べていける国であることは間違いありません。
ただ、好きなことを仕事にするとなると、また話は違ってきます。
情熱を傾け、自分が好きだと思った仕事に邁進して、結果が出る人もいれば、そうでない人もいます。
個人的にいつも感じることは、他人の人生に責任は持てないけれど、自分の経験や理解したことを語ることはきっと、なんらかの糧になるのではというものですが、好きなこと=必ずしも仕事になるかといえば、そうでない場合もあり、世の中はそんなに甘くないという言葉は正直なんとなく違う感じもして、要は、日産のCMではありませんが、矢沢永吉の「やっちゃう人とやらない人」と同じで、やったかやらなかったかという、それだけの差ではないかと思います。
ご存知の方の方が少ないと思いますが、今後(すでに始まっていますが)、世の中は、大きな転換期を迎えるといわれています!
まず、これまで安定だ、安心だと思われてきた、大手や国などの後ろ盾など、常識と思われてきた概念は、現在どんどん打ち砕かれています。
親世代が夢見た幻想、会社に尽くすように働けば、将来年金をもらって楽に老後を生きることが出来る、という現実もはすでに見事に崩れている部分もあり、すべてが大変化していますが、これに気づいている人はどうやらまだ多くないようです!
常識や道徳感も、日々どんどん変化しているだけではなく、皆が信じる世界観などは幻想である事実も浮き彫りとなっている現代社会の中で、どう生きていくのか?
こればかりは、モデルが存在しない世界観が広がっているだけに、右往左往する方も多くいるのではないかと思います。
個人的に、好きなことを仕事にして生きていけるのか?と問われたら、今後は、そうでなければ生きている意味はないのでは?と問い返したくなります。
安定や常識が根底から覆っている現代社会の中で、あなたはどう生きたいのか?
この言葉は、今後ますます重要になってくると考えられますが、あなたはどう思いますか?
好きなことを仕事にして飽きる人と飽きない人の違いは、個人的見解となりますが、やり続けるか辞めるかというシンプルな差ではないかと思いますが。
そして、お金などは、個人で好きなことを仕事にしていく場合、後からついてくるもので、雇われているときの感覚とは違ったものになるのだという経験もしています。
それって何?
雇われていれば、一ヶ月働けば、一ヶ月後に給与が振り込まれますが、自分が好きなこと、やろうと思い仕事にしたことは、必ずしも一ヶ月後に収入という形で報酬が振り込まれるわけではなく、タイムラグがあり、そこを受け入れられるかどうかという生き方を、経験することによって、見えてくる世界も違ってくるというものです。
好きなことを仕事にして飽きる人・飽きない人
好きなことを仕事にして飽きる人は、本気で好きではなかったか、もしくはこのタイムラグに我慢ならず、不安になり、投げ出した人と言い換えてもいいかもしれません。
不安がマックスになり、あと少しで報酬が発生する手前まできて、安定や安心に逃げ込んだ人が、飽きた人だと考えることも出来ます。
飽きなかった人は、それでもなお、自分の好きな仕事を信じて、不安に逃げん込んだりせず、進んでいった人であるといえるのではないでしょうか?
まだ私が22歳の頃、母親ががんを患い、余命が少ない状態となった経験をしました、正直、母の人生はいわゆる、波瀾万丈で、娘の自分から見ても、大変そうに見えていたのですが、それは見方を変えれば、好きな仕事をして生き続けた結果でもあったといえるのです。
そんな母と、余命少ないときに、二人で話す機会がありました、あまり、母の本音などを聞いたことなどなかったのですが、そのときフイに、次のような言葉を投げかけてみたくなり、彼女の本音に迫ってみたのです。
「お母さんは、自分の人生を後悔しちゃいけないよ」
なんとも傲慢な言葉を投げかけた娘だと、いまさらながら、無知だった若い自分に苦笑いしてしまいますが、その時母は、はっきりとした口調でこう言いました。
きっとこれが、好きなことを仕事にして、飽きない人として生きた人物の本音なのだと思うのですが、「自分の人生を後悔したことはない!」。
もちろん、本音を言えば、一度も後悔したことがないと言えばきっと嘘になるのだと思いますが、それでも残された娘の人生を思い、思いやりを持って発言した言葉であることは分かるのですが、力強くこう言い切った言葉を聞いた若造の私は、このときに、大事なポイントを理解したのです!
それは、好きなことを仕事にして飽きない人は、迷いながらも、どこかで自分の感覚を信じているというものです。
飽きる人は、この感覚に背中を向けた人であるといえるのではないかと・・・。
自分の感覚を疑う、そして、安全で無難な道へ入り込み、そこでなんとか誤魔化しながら生き続け、自分の好きなことを仕事にすることなんか出来やしない、無理だと言いながら、結局は自分の殻に閉じこもって生涯を送るのか、そうでないかの違いは、この自分の感覚に正直に生きるのかどうかというシンプルな違いであると、数々の経験を通して、個人的に理解してきたのですが、このような話は、正直人の数だけ理解や解釈があるだけに、好きなことを仕事にして飽きる人と飽きない人の違いは何かと言われると、人それぞれですという言い方が、一番しっくりくるのかなと思います。
仕事だけではなく、結婚や恋愛、さらには普段から例えば洋服を選ぶ、小物をどれにするか考える、今食べたいものを選択する、これらすべてに共通し、自分の好きな事を仕事にして、飽きる人と飽きない人との違いは何かをこねくり回すと、やはり最後は、自分の内側から発せられる本音に正直になれたのかどうか?
ここにたどり着くのではないかと思います。
本音では、今日はコロッケが食べたいのに、ダイエット中だから、野菜だけにする、こういう選択の仕方が飽きる人飽きない人の違いだという言い方も出来るのですが、そのもっと奥の本音に気づけるかどうか、本音だと思っている、今食べたいものはコロッケ、だけどさらにもっと奥の本音では、今コロッケを食べる幸せよりも、やはり痩せて綺麗になることのほうが、その人にとって本気の本音であれば、その感覚に沿っていけば、野菜を食べるほうがいいと感じているのであれば、それが飽きない人の生き方であり、飽きる人はここで、コロッケを選ぶ人と言い換える事もできると思いますが、あなたはこの考え、どう感じますか?
個人的には、結局、何を仕事にしても、人間は好きなことをしているのだと思うのです。
いやいややっているように見えて、実はそれに慣れてしまえば、楽ですから、一見嫌だと感じているような仕事でも、結果的に続けて生きているのなら、こんな生き方でいいかなと、どこかで受け入れているからこそ続けていると感じるからです。
これが本気で嫌で、体調不良になって初めて、やりたくないことなんだと気づく場合もあるほど、現代人は、自分の本音に気づきにくい生き方をしているといわれていますから、もしその仕事をしていて、精神疾患や、何らかの病気を発症するのなら、それはやはり、本音に嘘をついていると考えられますから、そこは改めたほうがいいのではと思われます。
好きなこと、自分が情熱を傾けられることが見つからないという方の中に、慣れてしまえばこの仕事を続けていけるという方が多いと思いますし、皆が自分の好きなことを仕事にしようと、立ち上がっていくわけではないでしょうし、生きていければいいと思っている方も居ますから、生き方は多様化している現代で、好きなことを仕事にしていなくても、結果的に今やっていることに満足しているという生き方を選んでいる人もいるわけですから、こればかりは、ひとりひとりの価値観の問題になります。
どう生きるか、本音とどう付き合うかは人それぞれですし、好きなことを仕事にしていこうぜって、煽るのもまた違う感じもします。
やっちゃうかやらないかも、人によって感覚に温度差があるでしょうし、こんな生き方でいいかな、いやもっと別の生き方がいいと感じる人もいて、一概にこうだと言い切れない面があると感じます。
すでに始まっている現代社会の大変革、国や大企業が自分たちを守ってくれるという幻想が通用しない世の中になっているのに、まだまだそこに気づいていない人も多くいる中で、好きなことを仕事にして生きていく事自体かなりリスクあるんじゃないですかというツッコミもあるかと思いますが、そもそも、幻想がなくなるのに、逆に自分の感覚を信じて生きていかないと、指針はなくなっているのですから、どう生きるのですかと逆ツッコミしたくなる。
自分にとって好きなことを仕事にすることで、飽きる人は、もしかしたら、いろんなことに満足しすぎている人かもしれません、情熱を傾けられることなどに興味がない淡々とした性格の人なのかもしれません、熱く何かを語ることややることに対して、だりぃと思っている人なのかもしれません。
それもまた、その人の感覚ですから、いろいろとあって当然だと感じます。
私達の親世代は、こう生きたらこうなるというモデルがあったのですが、現代ではこれらが崩れていき、こうすればこうなるという一つの道がなくなってしまっているため、逆に実は、好きなことを仕事にして生きていきやすいのではないかと思いますが、飽きる人、飽きにない人には、様々な理由があるかと思います、モデルがない以上、この定義に関しても、こうだと言い切れるものはないと、個人的には思いますが、あなたはどう感じますか?どう考えますか?
自分が好きなことがない方へ
そして、現代社会では、自分が好きなことがないと感じて悩んでいる方も多いといわれています。
親の言うままに生きてきてしまった人、自分の感覚にフタをすることで、なんとか生き延びてしまった人も多く、日本人の多くはどちらかというと、人の顔色を伺いながら、周囲からはみ出さないように、目立たないように、同じように生きることを選択する人が多いため、気がつけば、自分が何をしたかったのかがわからなくなり、コロッケと野菜のどちらが食べたいかと問われると、どっちでもいいと答える人も増え、そもそも自分の好きなことを仕事にするという考えよりも、生きられればいいと思ってしまう人もいて、感覚が鈍っている人も多いといわれています。
そのため、仕事に関しても、好きなことをすると言われても、何が好きか分からない、飽きるとか飽きないという感覚以前に、自分が何を求めているのかさっぱり分からないという方もいて、これが意外と問題となっている現実もあるようです。
小さな頃から知識だけを頭に詰め込み、自分の感覚で世の中を見ていくという経験が薄いため、好きなことを仕事にしていいよと仮に言われたとしても、どうしていいか分かりませんとなってしまう。
そんな人へ、もし僭越ながら、なにかシェア出来るとしたら、嫌だと感じることならきっと分かるはずだと思います、それを勇気を持って嫌と言ってみることから始めてみればいいのでは?
周囲の人たちの中に紛れ込んで、波風立てずに生きることは意外と簡単です、自分の嫌という思いを押しこみ、そうですね、いいですねと言っていればいいのですから、そうすれば、誰とも争わず、大きな変化も経験せずにすみますし、なんとか生き抜くことができます。
飽きるとか飽きないという生き方ではなく、普通で一般的な生き方をしていくことで、大きな不安も恐怖も感じずにすむ生き方が、普通に出来ますから、好きなことを仕事にすると宣言して、親や周囲の人たちから、とやかく言われる面倒もないでしょう、普通でありきたりの生き方に甘んじて過ごしていれば、食べていけるので、そういう生き方で満足する人もいますから、それはそれで楽しいのではと個人的には思います。
ただ、好きなことがないと悩む人がいるのなら、先程も書いたように、まずは自分の嫌という感覚だけには、正直になってみるという生き方を、周囲と衝突することはあるかと思いますが、実行してみるというのも手です。
個人的に、ここだけをなんとかやってみて、現状を変えてきた経験から、まだまだやりきれてない部分もありますが、なんとかこのやり方を貫いてきて、自分のやりたいことが見えてきたので、最初からやりたいことを見つけると考えるのではなく、嫌いなこと、嫌だと本気で感じることをやらない、断る、という意志を実行することで、霧が晴れるようにやりたいことが見つかっていく方向へ進んでいくほうが、ハードルが低いのではと思いますが、考え方は色々とありますので、ひとつの可能性だと思って受け取ってください。
そして、私達は、自分でしたいことを、やりたいと言うと、ダメです、やっちゃいけません、こうしなさい、ああしなさいと言われて育った面があることで、やりたいこと、好きな仕事をやってはいけないという考え方を、どこかで刷り込まれてしまいましたが、実は、あなたや私がやりたいことは、誰の許可も得なくていいのだと、気づくと、あれ?と拍子抜けすると感じませんか?
嫌だと思うことを、はっきりと周囲に伝えると、面倒なことになる、争いになると思っている方も多いと思います、だからこそ好きなことがわからなくなったという人もいるかと思いますが、実は逆で、自分はこうしたいのだと伝えることは、周囲にとって、わかりやすい人だなと感じてもらえる利点もある面に気づくと、楽になるし、好きなことも見つけやすくなるのではないでしょうか?
好きなことを仕事にして、飽きる人、飽きない人の違いは色々とあると思いますが、個人的経験からシェア出来るものは、やはり、自分の感覚、嫌だなと感じるものに敏感になれるかどうかの違いでもあるのでは?
そして、好きなことが分からない人は、自分がそうしたいからするという感覚を取り戻すために、まずは、嫌なことは嫌だと、はっきりと周囲に言うことから始める、シンプルにこれらを実行していくことで、その先、ああそうだ、自分はこれがしたいんだというものが見つかっていくのではないでしょうか?
そして、最初からこれがしたかったんだ、この仕事が好きだから、やりたかったというものを見つけることは難しいと思います。
何故なら、人はやってみて始めて、それが自分のしたいことだったと気づけるという面もあるからです。
だからこそ、まずは実行、やってみる、動いてみる、その先に、そうそう、こうしたかったんだよね、と感じる自分の笑顔が見えてくる、様々な経験から、個人的にはこのように思いますが、あなたはどう感じますか?
好きなことを仕事にするなんて無理、そんな言葉は嫌というほど聞いてきた、だからこそ飽きない、飽きるという視点からではなく、自分は何が嫌かという視点から、人生を見なおしてみるのもいい経験になるのではないでしょうか?
<ブログライターkomichiからのお願い>
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